みなさん、こんにちは。
お元気ですか
私達は元気です。
今日は、遠い昔の遠い親戚のお兄さんの話を書きたいと思います。
その遠い親戚のお兄さんは、日本の田舎に住んでいました。
ご実家は兼業農家だったようです。
お兄さんは、高校、もしくは大学を卒業するとすぐに単身、アメリカに渡りました。
おそらく、今から50年くらい前のことだと思います。
アメリカに渡ったのは、留学ではないようでした。
今から50年くらい前、若くして特に勉強するわけでもなく、アメリカ行く人ってなかなか珍しいことだと思います。
そのお兄さんはその後、約20年間以上はアメリカにいたと思います。
私がまだ幼い頃、お兄さんがアメリカに行ってまだ数年の頃、そのお兄さんのお父さんがうちに来る度に、お兄さんのことを誇らしげに話していました。
私は、そのおじさん、お兄さんのお父さんの話を、別の部屋からこっそり聞いていました。
当時、お兄さんは、アメリカで楽しくやっているようでした。
きちんと仕事も見つけて働いていたようです。
私は子供ながらに、その時そのお兄さんに憧れていました。
お兄さんのことを、なんて勇気があるんだろうと、なんてカッコいいんだろうと、思っていました。
私が中学生くらいの時、お兄さんがアメリカに渡って15年くらい過ぎた頃のことです。
その頃になると、そのお兄さんのお父さんは、もうお兄さんの自慢話はしませんでした。
自分の息子の話を、まるで避けているように思いました。
おじさんは、自分の息子の話になると少し遠い目になって、困っているようでした。
そして、私が20代前半半ばくらいの頃、そのお兄さんが日本に帰ってきた、という話を聞きました。
当時、私たちが最初の駐在でアメリカに来ていた頃だったかな〜
お兄さんがいつ日本に帰ってきたのか、あまり良く覚えていません。
が、バブルの後半だったと思います。
当時はもう、そのお兄さんのお父さんも私の実家に来ることはあまりなく、母もたまたま用事で電話した時に聞いたようでした。
私は、そのお兄さんが日本に帰ってきてしまったことが、なんだか残念でした。
まだ、多くの人がアメリカに行っこともない時代に、若くして単身でアメリカに渡り、意気揚々と暮らしていたはずのお兄さん。
一時は私たち家族の間でも、誇らしい憧れの人でした。
でも、そのお兄さんは日本のバブルの陰りと共に、40歳を過ぎた頃、ひっそりと日本に帰ってきていたのです。
すっかりおじさんになったお兄さんは、独身のままでした。
20年以上もアメリカにいたのに、家族を作らなかったのか〜、と思いました。
私はてっきりアメリカ人女性と結婚して、可愛いハーフの子供を持っていると思っていたのです。
そして、アメリカの庭付き一軒家で、日曜日は庭の芝刈りをしているような生活をしていると思っていました。
アメリカに行きさえすれば、誰でも華やかな生活を手に入れられるに違いない。
私は、当時そんな風に思っていました。
噂では、お兄さんは日本に帰国後、ご実家の畑を手伝って農家で生計を立てていたようです。
お兄さんは20年も日本を離れていましたから、今更地元に付き合いの長い日本人の友達もいなかったでしょう。
40歳を過ぎたほぼ無職のおじさんと、結婚したいという女性もおそらく多くはなかったでしょう。
お兄さんの家族は、お兄さんが帰ってきてからのことを、あまり私たちにも言いたがりませんでした。
元々、とても遠い親戚。
その後のお兄さんの情報は私たちにはもう入ってはきませんでした。
今となっては、お兄さんのご両親も亡くなり、お兄さんも70歳代だと思います。
遠い親戚ですから、全く消息を知る由もなく、私はお兄さんがその後どうしたのか知りません。
実は下の名前も知らないのです。
母が言うには、今でも田舎の実家でひとりで暮らしていると思う、とのこと。
でも私は、時々ふとお兄さんの事を思い出します。
アメリカでの20年は、お兄さんの人生にとって、一体どんなものだったのでしょう
日本に帰国後、そっと田舎で暮らしているらしいお兄さん。
若くして単身アメリカに来たお兄さんは、人生の一番良い時期の20年を、いったいどんな風に過ごしたのでしょうか。
私は若い頃から海外に住むことに憧れながらも、いつも恐怖がありました。
私のその気持ちの裏側に、潜在的にそのお兄さんの存在があったのかも知れないと思っています。
行ったら絶対に幸せになれるはずの国。
夢の国アメリカ。
私が若い頃は、まだまだ一般的にはそんなイメージがあった様に思います。
でも、身近にお兄さんがいたから、潜在的にではありますが、私は心の中で、
「そんなに甘くないかもしれない。」
と思っていたのかも知れません。
日本とアメリカ、どっちがいいか
なんていう乱暴な問いには答えられません。
駐在妻という立場は本当に居心地が良くて、アメリカで暮らして7年、私はアメリカの美味しいところだけを堪能してきました。
前回の駐在の時の2年半を入れれば、ほぼ10年間、アメリカの素敵なところしか見てきませんでした。
アメリカの闇についてなんて、考えたこともなかったのです。
でも、このコロナ禍では、異国での生活は不安が倍増します。ネガティブな要素ばかりが目立ちます。
だから今の私は、帰れる国、日本がとても愛おしいです。
日本のこと、もっと大切にしなくちゃ。
誰にも奪われることのないよう、祖国を大切にしなくちゃ。
そのお兄さんのことを思い出しながら改めて思いました。
日本はやっぱり暮らしやすい国なんじゃないかと。
日本人はもっと政治に関心を持った方がいいと思います。
どうか大切な国日本が、いつまでも平和であります様に
私も微力ながら、これからできることをしていきたいと思いました。
人生の一番良い時期の20年をアメリカで過ごして、おじさんになってからそっと日本に帰ってきたお兄さん。
今はどうしているのだろう。
全く消息を知らないけれど、そしてすっかり海外移住に失敗しちゃったみたいに書いちゃったけど、本当は地元でモテるおじいさんになっていて、70歳越えてもTwitter とかで世界経済についてつぶやいていたりして、オーガニックのイカした野菜とか作って活躍しているといいな、と思いました。
そうであって欲しいです
ミシガン州の新型コロナウィルス感染者は8/15までで総計 92,155人。
8/15の一日の感染者数は 1,015人でした。
みなさん、どうか安全にお過ごしください。
新型コロナウィルスが早く終息しますように。
いつも祈り、想っています。
世界の経済も、だんだんと回復していきますように